カール・ラガーフェルドとシャネルの36年|CHANEL 1983〜2019 伝説のショーをたどる

カール・ラガーフェルドとシャネルの36年|CHANEL 1983〜2019 伝説のショーをたどる

1983年、カール・ラガーフェルドがCHANELのアーティスティック ディレクターに就任しました。ツイード、パール、チェーン、カメリア、黒と白。ガブリエル・シャネルが残したコードを消さず、毎シーズンまったく違う表情へ変えていきます。

けれど、面白いのは作品だけではありません。本人自身もまた、何度も自分を作り直した人でした。スーパーモデル、メティエダール、巨大な地球儀、スーパーマーケット、ロケット、滝、砂浜、雪山。36年間を追うと、カールという人物とCHANELの変化が重なって見えてきます。

1983年、低迷していたCHANELへ|「無謀」と見られた就任から始まった逆転

1949年、母親と見たクリスチャン・ディオールのショーに衝撃を受けたカールは、その後パリへ。1954年には国際羊毛事務局のコンテストでコート部門を受賞し、同じ年には若きイヴ・サンローランも別部門で受賞しています。

Balmain、Patou、Chloéと経験を重ねたのち、1983年にCHANELへ。当時のメゾンは厳しい状況にあり、彼がこの仕事を引き受けることを無謀と見る声もあったと、ドキュメンタリーでは振り返られています。

カールは古い雑誌を集めてCHANELの歴史を調べ、何時間もデッサンを重ねる一方、夜のパリにも足を運びました。ツイードジャケット、パール、チェーン、ダブルCを残しながら、ミニ丈、デニム、レザー、大胆なロゴへとつなぎました。

当時の縫製スタッフたちは、後年の強烈なイメージとは違う気さくさと、驚くほど細かなデッサンを証言しています。イネス・ド・ラ・フレサンジュをミューズに選び、専属契約を結んだことも、新しいCHANELの顔を作りました。

1983KARL LAGERFELDINÈSLA FRESSANGE
カール本人だけでなく、当時を知るアシスタント、縫製スタッフ、ファッション関係者らの証言が数多く登場するドキュメンタリーです。
長動画なので、お時間のある時にぜひ。当時の関係者の発言も多く、完成された「カール・ラガーフェルド像」の裏側まで見えてくる興味深い一本です。

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1990年代、スーパーモデルとCHANELが最高潮へ|98Aまで続く大胆な遊び

クラウディア・シファー、ナオミ・キャンベル、リンダ・エヴァンジェリスタらがランウェイを彩り、ミニ丈、チェーンベルト、大きなロゴ、鮮やかな色がクラシックなツイードと同居しました。今見ても「90年代CHANEL」とすぐ分かる強さがあります。

カールは服だけでなく、自分自身の見せ方も意識的に作っていました。ドキュメンタリーには、「カール・ラガーフェルド」という存在を自ら演出する姿も映ります。その距離感も、のちのアイコン化につながっていきます。

2000年代、ショーそのものが物語に|メティエダールとグラン・パレの時代へ

2002年には最初のメティエダール コレクション「Satellite Love」を発表。刺繍、羽根、花、ボタン、靴など、CHANELを支える専門工房の技をコレクションの主役に据える流れが始まります。2005年には翌春夏コレクションをグラン・パレで発表し、この巨大空間がやがてカールの想像力を現実にする舞台になりました。

この頃、本人の外見も大きく変化します。白髪を束ね、黒いサングラス、高い襟、手袋という誰もが知るスタイルへ。服と同じように、自分自身も強いビジュアルへ作り上げていきました。

2002MÉTIERS D’ART2006 / 06SGRAND PALAIS

2007春夏07S|白とゴールド、巨大なドレッシングルームが出現

07Sでは白とゴールドを軸に、グラン・パレを巨大なドレッシングルームのように演出。服だけでなく、モデルが着替える空間までショーの一部にするカールらしい発想が広がっていきます。

2007メティエダール07PF|モンテカルロで蘇った《青列車》

07PF「Paris–Monte-Carlo」では、ココ・シャネルと舞台芸術の歴史にもつながる1924年のバレエ《Le Train Bleu/青列車》を現代的に再解釈。カールは服の歴史だけでなく、ガブリエル・シャネルが関わった文化そのものを新しいコレクションへつなげました。

2009秋冬09A|黒に白襟、ダンディーな「Belle Brummell」

09Aでは黒を基調に、取り外し可能な白い襟やカフスを効かせた端正なスタイルが登場。女性らしさだけに寄らない、シャープで少しダンディーなCHANELを見せました。

2010年、農場から氷山、上海まで|一つの年でここまで景色が変わる

10Sはグラン・パレに農場を作った「A Farm in Paris」。10Aでは巨大な氷山を運び込み、雪と氷の世界を出現させました。さらに10PFは上海へ。毎回まったく違う場所へ連れていく勢いが加速します。

2012〜2013年、カールのCHANELが世界を駆ける|ボンベイ、スコットランド、巨大風車、そして地球儀

12PFではインドを着想源にした「Paris–Bombay」。続く13PFはスコットランドへ。そして13Sでは巨大な風力タービンとソーラーパネルがランウェイに現れました。

そして13A。グラン・パレの中央に巨大な黒い地球儀が置かれ、世界各地のCHANELブティックを示す旗が立ちました。パリから世界へ広がったメゾンそのものを、一つの舞台で見せたコレクションです。

2014年、アート会場の次はスーパー!?|カールのグラン・パレが止まらない

14Sではグラン・パレを現代アートの会場に変え、14Aでは「CHANEL Shopping Center」へ。棚いっぱいの商品とショッピングカートまで登場し、ラグジュアリーと日常をぶつけました。

2015年、ドバイからパリの街角まで|一季ごとに舞台が変わる

15Cはドバイ、15PFはザルツブルク。15Sでは「Boulevard Chanel」と題した街頭デモのようなフィナーレが話題になり、15Aではグラン・パレが「Brasserie Gabrielle」というパリのブラッスリーに変身しました。

2016〜2017年、空港から宇宙へ|カールの舞台はついに地球を飛び出す

16Sは「CHANEL Airlines」として空港ターミナルを再現。16PFはローマのチネチッタへ、17PFはリッツ・パリへ戻ります。そして17Aでは、ダブルCを付けた巨大ロケットがグラン・パレに登場しました。

2018年、滝・古代ギリシャ・故郷ハンブルク|カールの旅はさらに自由に

18Sでは巨大な滝、18Cでは古代ギリシャを想像した世界、18PFではカールの故郷ハンブルクへ。港町の記憶とメティエダールの職人技を結びました。

2019年、ニューヨークから雪山へ|カールがCHANELに残した最後の景色

19PF「Paris–New York」はメトロポリタン美術館のデンドゥール神殿で発表され、古代エジプトとニューヨークを重ねます。その後、カール・ラガーフェルドは2019年2月19日に死去。3月5日に発表された19Aは、雪に覆われたアルプスの村を思わせるグラン・パレを舞台にした、カールとヴィルジニー・ヴィアールによる最後のプレタポルテとなりました。

アナ・ウィンターが選んだ13ルック|36年の振り幅を一気に見る

1989年のナオミ・キャンベルから、90年代のスーパーモデル、ミニ丈、ロゴ、大胆なオートクチュールまで。『Vogue』のアナ・ウィンターが選ぶ13ルックを見ると、カール期の幅の広さがよく分かります。

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作品だけでなく、自分自身まで更新し続けた|カール期を今見る面白さ

80年代、90年代、2000年代、2010年代。丈、色、素材、ボリュームは驚くほど変わるのに、ボタン、ブレード、チェーン、ツイードのどこかにCHANELの気配が残ります。

若い頃を知る人が語る仕事ぶりと、後年の強烈な「カール」という姿。その両方を見ると、自分自身も決して一つの形にとどまらなかったことが分かります。過去を材料に、次の姿を作る。それをCHANELでも自分自身でも続けた36年間でした。

あなたのワードローブには、どの時代のカールの作品がいちばん似合いそうでしょうか。80年代の力強いジャケット、90年代の華やかなツイード、それとも晩年の大胆で遊び心のある一着——。年代をたどりながら、ご自身の一着を探してみるのもカール期のCHANELを楽しむ醍醐味です。

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